2020年の現役引退後、古村徹(こむら とおる)は横浜DeNAベイスターズの球団職員として新たなキャリアを歩んでいます。
DeNAを戦力外になり、独立リーグで進化し、再びDeNAに選手として戻った。プロ野球界でもきわめて稀な「出戻り復帰」を果たした男です。
この記事では、不屈の精神を持つ彼がどのような道を歩んできたのか、そのセカンドキャリアに迫ります。一度どん底を経験したからこそ見えた景色がありました。
古村徹 プロフィール・経歴まとめ




| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 名前 | 古村 徹(こむら とおる) |
| 生年月日 | 1993年10月20日(32歳) |
| 出身地 | 神奈川県平塚市 |
| 投打 | 左投左打 |
| ポジション | 投手 |
| SNS | Instagram X(旧Twitter) |

古村徹の経歴(時系列)
茅ケ崎西浜高校 → 横浜DeNAベイスターズ(2012-2014:ドラフト8位) → 打撃投手(2015) → 愛媛マンダリンパイレーツ(2016-2017) → 富山GRNサンダーバーズ(2018) → 横浜DeNAベイスターズ(2019-2020:選手として復帰) → 球団職員・ベースボールスクールコーチ(2021〜)
戦力外、打撃投手、独立リーグ、そして奇跡の古巣復帰。ひとりの選手がこれほど波乱万丈なキャリアを歩むケースは、なかなかありません。
現在の仕事:DeNA「ベースボールスクールコーチ」として

2020年に2度目の現役引退を発表した古村。2021年からはDeNA球団職員として、ベースボールスクールのコーチを務めています。
子どもたちに伝える「あきらめない心」

ベースボールスクールコーチの仕事は、野球教室などで子どもたちを指導すること。技術を教えるだけでなく、野球の楽しさを伝える役割です。
古村のような経歴を持つコーチは、そうそういません。戦力外からの復活、独立リーグでの奮闘、奇跡の古巣復帰。その経験は、どんな教科書よりも説得力があります。
- 挫折を乗り越えた経験:「あきらめなければ道は開ける」を体現している
- 独立リーグでの再起:NPB以外のルートでも成長できることを知っている
- 左腕投手としての技術:サイドスローから150km/hを記録した実力派
プロで活躍した選手ではなく、「何度も這い上がった選手」。だからこそ、伸び悩む子どもたちの気持ちがわかるのでしょう。
編集部現在、DeNAの球団職員として子どもたちに野球の楽しさを伝える古村コーチの様子は、地元・神奈川新聞の公式動画でも紹介されています。



エリートじゃなかった人ほど、指導者として深みが出るケースは多いですよ
引退時のコメントに見る「古村イズム」


2020年末の引退発表時、古村はこんなコメントを残しています。
僕が歩んだ野球道は一直線ではなく、難しい道のりでした。決して胸を張れる野球道ではなかったですが、周りに左右されず自分を信じ続けた事が、今日まで野球をやり抜けた要因だと思います。
出典:横浜DeNAベイスターズ公式サイト
「辛いと思っていたケガも、回り道も、人に笑われた事も、振り返ってみれば全てが僕の財産」。この言葉に、彼のすべてが詰まっています。
富山GRNサンダーバーズ時代:運命を変えた「150km/h」への進化
古村徹のキャリアを語るうえで、2018年の富山時代は外せません。ここで彼は「別人」に生まれ変わったのです。
戦力外通告からの逆襲。富山で見つけた「火事場の馬鹿力」


2014年、古村はDeNAから戦力外通告を受けました。高校時代から悩まされていた左肩痛が原因です。
2015年は打撃投手としてチームに残留。しかし球団からマネージャー転身を示唆され、現役復帰を決意します。2016年に愛媛、2018年に富山へ。独立リーグを渡り歩く日々でした。
富山時代の転機
サイドスローからオーバースローへフォームを戻したところ、球速が大幅にアップ。2018年8月以降、BCリーグの公式戦で150km/hを何度も記録するようになりました。防御率は2.60。まさに「別人」でした。
高校時代の最速140km/h、DeNA第1期の最速138km/h。それが富山で150km/hに。独立リーグで「火事場の馬鹿力」が覚醒したのです。
| 時期 | 最速球速 | 状況 |
|---|---|---|
| 高校時代 | 140km/h | 左肩を痛める前 |
| DeNA第1期 | 138km/h | 左肩痛の影響 |
| 富山時代 | 150km/h | サイドスロー→オーバースローへ戻す |



独立リーグで球速が10km/h以上アップするケースは、実はそこまで珍しくないんです
2018年、奇跡の「古巣復帰」


富山での活躍が、古巣DeNAのスカウトの目に留まりました。2018年の入団テストを経て、2019年から支配下登録選手として復帰。
一度放出した選手を再び獲得するのは、NPBでは異例中の異例です。5シーズンぶりの同一球団復帰。「諦めなければ道は開ける」を体現した瞬間でした。
復帰の背景
DeNA球団は古村の人柄と野球への姿勢を高く評価していました。独立リーグで速球派左腕に変貌したこと、そしてチームに左腕の救援要員が不足していたことも、復帰の追い風になりました。
残念ながら復帰後もケガに悩まされ、一軍登板は叶いませんでした。しかし「戻ってきた」という事実そのものが、彼の価値を証明しています。



独立リーグでの活躍が認められ、NPBへの復帰が決まった直後のトークショーの様子が、富山GRNサンダーバーズ公式チャンネルで公開されています。
古村徹に学ぶ「キャリア生存戦略」
古村のキャリアは、野球選手のセカンドキャリアを考えるうえで、多くの示唆を与えてくれます。
「どん底」を知る人間は強い
古村の強みは「エリート街道」を歩んでいないこと。戦力外通告、独立リーグでの過酷な日々、契約解除の恐怖。すべてを経験しています。
だからこそ、どんな裏方の仕事でも腐らずに取り組める「精神的タフネス」があります。これは、セカンドキャリアで長く必要とされる人材の条件です。
- 環境を変える勇気:NPBにこだわらず独立リーグへ飛び込んだ決断力
- 自己変革の姿勢:フォーム改造など、現状を打破する努力を惜しまない
- 人柄の大切さ:球団から「また一緒に働きたい」と思われる人間性
本人は引退時の取材で、「他人と同じ人生はつまらないし、先駆者でありたい」と語っています。「野球だけではない道」を模索する姿勢は、まさにセカンドキャリアのお手本です。



「球団に残れた理由」は、実力よりも人柄であることが多いんですよね
古村徹に関するよくある質問(FAQ)
古村徹についてよく聞かれる質問にお答えします。
Q:現在もDeNAに在籍していますか?
A:はい、球団職員として在籍しています。2021年からベースボールスクールのコーチとして、子どもたちの育成・指導に携わっています。
Q:なぜ一度DeNAを退団したのですか?
A:2014年に戦力外通告を受けたためです。高校時代から悩まされていた左肩痛が原因でした。その後、独立リーグで実力をつけて復帰を果たしました。
Q:富山時代の成績は?
A:2018年シーズンは防御率2.60を記録。最速150km/hをマークし、サイドスローからオーバースローへの転向が功を奏しました。この活躍がDeNA復帰につながりました。
Q:一軍登板はありましたか?
A:残念ながら、一軍公式戦への登板はありませんでした。DeNA在籍通算5シーズンで、二軍(イースタン・リーグ)での登板にとどまりました。2019年に左肘のクリーニング手術を受けるなど、ケガに悩まされ続けました。



一軍登板がなくても「プロ野球選手だった」事実は変わりません。その経験は子どもたちへの指導に活きているはずです
まとめ:「不屈の左腕」が歩むセカンドキャリア
古村徹は、華々しい成績を残した選手ではありません。しかし、「何度も這い上がった選手」として、その名は記憶に残り続けるでしょう。
戦力外からの復活、独立リーグでの奮闘、奇跡の古巣復帰。そして現在は、ベースボールスクールのコーチとして、次世代に野球の楽しさを伝えています。
古村徹の歩みから学ぶこと
「辛いと思っていたケガも、回り道も、人に笑われた事も、振り返ってみれば全てが僕の財産」。この言葉は、セカンドキャリアに悩むすべての選手に響くはずです。
DeNAの野球教室などで、彼の指導を受ける機会があるかもしれません。そのときは、ぜひ彼の「回り道」の話を聞いてみてください。
最新情報は横浜DeNAベイスターズ ベースボールスクール公式サイトでチェックできます。




